今日は私の宝物のお話です。
私は中学生の頃から、気に入った文章や詩句をノートに書き留めていました。いくつか書き出すと、”我がホザナは懐疑のるつぼを通ってきた”なんていうドストエフスキーの血を吐くような告白やら、”花より団子 心中よりまんじゅう”なんていうとぼけた狂歌、”早く読まないと大人になってしまう”はどこかの出版社の読書キャンペーンのコピーだし、”避くるべき地獄もなく 願うべき天堂もない”云々は文豪漱石の言葉。このように古今東西の(私にとって)魅力的な言葉たちをせっせと書き溜めたノートが数冊あるのであります。
このノートについて一つ思い出があります。ある日、私がいつものように本を積んでせっせとノートに書き写していたら、姉が母に「あの子、あんなことしてて変や。」と言ったのです。当時、私は「変」という言葉に非常に敏感だったので、聞こえていないふりをしながらも身体はこわばり胸はズキンと痛みました。すると母は「あの子はあれでええねん。あれは将来あの子に役に立つんやから。」と笑いながら答えました。姉は「ふうん。」と納得したんだかしてないんだかわからない声を出していましたが、それ以上何も言いませんでした。私は母の言葉がとてもうれしかったけれど、やっぱり本を読んで聞こえないふりをしていました。
あれから既に二十年近くたちますが、おかげで(上手い下手は別にして)文章やコピーを書くのに困ったことはほとんどありません。空に月を仰げば”もろともに 眺め眺めて 秋の月”などといった歌が浮かびますし、花を見れば”油断して 花に成たる 桜かな”などと句が出てきます。全部ノートの中に書留めたものです。
今でも折にふれては開いて読み、時に書き足していくあのノートを私はずっと宝物だと思っておりました。しかし今考えてみると、それにも増して大切にしていたものは、自分を認めてくれた母のあの言葉だったのではないかと思うのです。
