自分では「ポアロ」シリーズは全て読んだと思っていたのですが、クリスティーのデータベースみたいなHPがあって、それで調べると抜けている作品がありました。『ヘラクレスの冒険』がそれ。エルキュール・ポアロのエルキュールはギリシャ語のヘラクレスにあたります。この小男にギリシャ神話の堂々たる英雄の名前を与えたのは、クリスティーのユーモアでしょうが、今回彼にアシル(ギリシャ語でアキレスの意)がいたというのを初めて知りました。
この本では、ギリシャ神話のヘラクレスの冒険になぞり、ポアロが12の冒険に挑むわけですが、私の一番のお気に入りは最初の冒険「ネメアのライオン」。(ここからはネタバレするので知りたくない人は読まないように。)
事件は金持ちの家に飼われているペキニーズ(犬の種類)が散歩中に誘拐されやところから始まります。身代金を渡して無事に帰ってきたのはいいのですが、妻が内緒でしたことと、自分のお金をとられたこと、また他にも同じような被害が何件もあることに腹を立てた夫がポアロに事件解決を依頼します。金持ちなので、もちろん自分たちで散歩させるなんてことはなくコンパニオンがさせていたわけなのですが、この女性がオールドミス(本文のまま)で頭の鈍そうな女性。かわいい赤ちゃんに気を取られている隙に、紐を切られて犬がいなくなっていたという。
結論をいうと実はこのコンパニオンが犯人なのですが、この女性には病身の妹がいました。姉妹のアパートを尋ねていったポアロに彼女が言ったのは次のようなこと。自分は若くもないし、病身の妹を抱え蓄えをつくることも勉強をすることもできなかった。これから年をとっていくと仕事ももらえなくなって生活できなくなるだろう、そしてそんな女はたくさんいるのだ。それに引き換え、主人の家ではお金がうなるほどあり、自分たちを人間扱いもしてくれない。そんな不満と不安を持つ女性たちで仲間をつくり、オールドミスに対する世間の思い込みを逆手にとり、犬を誘拐しては身代金をせしめて、そのお金を共同基金として貯めていたのだ。
逮捕を覚悟する彼女に、ポアロは今回の身代金を渡すように要求し、その後依頼主のところへ行きます。ちょっとした、それでいて絶妙な駆け引きの後、犯人は闇のままポアロはまんまと身代金を自分の謝礼金として貰い受けます。さすがポアロといいたいところですが、ポアロの真骨頂はここから。
彼は謝礼金を、そのまま「援助する価値のあるあなたの基金に寄付させていただきたく」と小切手を送付するのです。うーん粋だ。
この物語に出てくるように、貧しさゆえ何の学力も技術も身につけることのできなかった女性たちは当時たくさんいたと思われます。その生活は悲惨だったことでしょう。階級制度の徹底したイギリス。人権感覚なども現代とは違っていたでしょうに、下層階級の女性を魅力的な犯人にして、彼女達は決して馬鹿ではない、機会にめぐまれなかっただけなのだ、そんな風にも読み取れる物語を書いたクリスティーは、さすがだなぁと思います。
